「2カ国で12年」帰国した今だから語れる新興国マルチ駐在のリアル


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ビジネスエンジニアリング(B-EN-G)グループのインドネシアとタイの現地法人で、計12年間にわたる海外駐在を経験した内田氏が、2026年に帰国しました。宗教や言葉、文化の全く異なる2国での駐在を経験し、どのような学びを得られたのか。また、海外駐在をするにあたって重要な心構えは何なのか――。希少なキャリアを歩んできた内田氏に、その経験と教訓をうかがいました。

【話者紹介】

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内田 雅也(うちだ・まさや)
ビジネスエンジニアリング株式会社
プロダクト事業本部所属。2002年新卒入社。主にプリセールスなどを経験し、日系製造業の海外拠点向けmcframe導入や運用サポートに長年携わった。2014年にインドネシアで初めての海外駐在を経験し、2019年からはタイの業務にも携わり、2021年からタイ駐在。2026年に帰国し、現職。茨城県鹿嶋市出身、鹿島アントラーズファン。

「社史に載る仕事がしたい」

――12年間の海外駐在から帰国されました。そもそも海外に駐在された経緯や、その動機を教えてください。

「もともと海外が好きだったのか」と言われると決してそうではなく、「社史に名前が載るような仕事を一つやりたい」というモチベーションでした。単純に目立ちたい(人と違うことがしたい)という性格が大きかったように思います。

2014年当時は、インドネシアに進出する日系企業が増えていた時期でした。ニーズの高まりを背景に現地法人をつくる話が私のところにも来て、すぐに手を挙げたんです。それまでにタイや上海、シンガポールで一定期間働いた経験もあったので、キャリアの軸として「海外はありだな」と自信は持っていたんですよね。

ちなみに「社史に名前が載る」という希望は、インドネシア法人の立ち上げに関わったことで実現することができました。

――インドネシアで6年、それからタイで6年、いずれも現地法人の責任者を務められましたが役割に違いはありましたか。

いずれも組織のトップという役割は同じでしたが、その内容は大違いでした。インドネシアは私1人から10人前後の会社になるまでの、いわゆる「0→1」のフェーズ。タイは着任時点の約30人から約60人までの、言わば「1→10」のようなフェーズでした。

――組織規模の違いは、やはり仕事内容の差にもつながるのでしょうか。

インドネシアは全部自分でやらないといけない。社会人として初めて持った部下も、インドネシア人でした。
20260903_013手探りで面接をして採用し、人を集める。技術や営業だけでなく、人事総務といったバックオフィス部門など、自分で勘所が分からない分野の人をどう判断すればいいものか、困った記憶があります。とにかく現地で稼ぐために、やれることは全部やるという感じでした。

タイは、ある程度の組織と指揮命令系統ができている段階でした。トップとして営業に同席することなどはありましたが、基本的にマネージャー陣にいかに動いてもらうかを考えることが仕事で、インドネシアと比べて「階層が一つ増えた」という感覚で働いていました。

 

インドネシアは「生き延びる」、タイは「大きくする」

――トップとしての意識にも違いはあったのでしょうか。

インドネシアでは「(企業として)生き延びる」という意識でした。当時の上司の名言「その1ルピアをけずりだせ」のごとく、目先の1ルピアを必死に取りに行き、一日一日を生きながらえる。一方タイでは、特段の指示があったわけではないですが、意識は「(組織を)大きくする」でした。着任後しばらくしてから「売上・人数を二倍にする」と宣言した記憶があります。

市場への攻め方も異なりました。インドネシアは日系企業も競合も少ないため、領域を絞って「オンリーワン」であることを目指しました。競合が多かったタイでは領域を絞るだけでは不十分で、何かしらの強みを磨いて「ナンバーワン」であることが重要だと考えました。

――市場を攻める時のやり方も違ったのですね。

20260903_032細かい話をすると、インドネシアに進出している日系企業は、意思決定権を日本の本社が握っている場合が多かったです。そのため、インドネシア駐在中にあえて日本でインドネシアセミナーを開いたことも何度かありました。日本で繋がり、現地でも繋がることが、一つの「勝ちパターン」だったんです。

一方、タイは日系企業の数が多く、現地で意思決定をする会社も多くなっていました。現地のタイ人の発言力も強く、インドネシアと同じ方法では成果が出せないといった違いはありました。

――海外駐在中に直面した、ピンチはありましたか。

実はインドネシア時代、「軌道に乗ってきた」と思った時期に、キャッシュフローが危うくなったことがありました。案件が獲れていて稼げている実感があったので安心していたのですが、取引先企業から、期日に支払いがなかったんです。本社の管理部門にも助けてもらい、事なきを得ました。

中小企業経営の基本ではあったのですが、「これが黒字倒産か」と冷や汗をかいたのをよく覚えています。海外では期日通りの支払いが当たり前ではないことを、身をもって学びました。

世に出しにくい事情もあると思いますが、先人の駐在員の失敗談にこそ、いろんなノウハウが詰まっているのかもしれません。


「仲良くなるため」に、特別なことはしなくていい

――文化に対するギャップを感じられたことはありましたか。

インドネシアはイスラム教国だったので、駐在1カ国目の経験としては新鮮なことが多かったです。一日に何度もお祈りの時間を設けたり、断食があったり。メッカを巡礼するために一生懸命貯金をする人も多かったです。また、教義で禁止されているお酒が手に入りづらくて苦労しました。 

――タイは仏教国という印象ですが、その点はいかがでしたか。

タイでは、1~2カ月会社を休んで出家する人がいました。プロジェクトの途中で、内心「困ったな」と思うこともありましたが、尊重しました。休暇にミャンマーやラオスまで行って、お寺を回る人もいました。

ただ、どちらの国でも、信仰への向き合い方は結局人それぞれでしたね。「この人はすごく大事にしているな」「この人は柔軟だな」といった温度感を、一緒に仕事をしながら把握していきました。 

――ほかに、どちらの国でも「変わらないな」と感じられた点はありましたか。

家族を大事にして、人と人との距離が近いのは共通していると思います。インドネシアもタイも、現地メンバーが「社員旅行をやりたい」って希望してくるんですよ。しかも、当日は家族を連れてくる。日本ではなかなか想像しにくい空気だと思います。

――現地の人と関係を築くために、何かされたことはありましたか。

特別なことをした感覚は、あまりないんですよね。それが、よかったのだと思います。あくまでもビジネスのために赴任しているわけですから、仲良くなりつつも、「仕事を円滑に回すために必要な距離感を保つ」ということに尽きると思います。

――現地での日本人同士の付き合い・交流についてはいかがでしたか。

とても分かりやすい濃淡がありました。インドネシアは、在留邦人も20260903_014
出張者・旅行者も多くなく、(当時はまだ)仕事も生活するのにも不便が多かったこともあり、日本人の一致団結感というか、「同じ釜の飯を食う仲間」的な仲間感が強かったように思います。ビジネス面でも生活面でも、知人・友人にたくさん助けられました。かたやタイは、どこに行っても日本人を見ないことがないというくらい日本人が多く、また日本人コミュニティも充実していたため、孤独を感じることはありませんでした。逆に、同じアパートに友人どころかお客さんや高校の同級生が住んでいたりと、良い意味で孤立するのが難しい環境でした。(笑)

タイで生かした反省「人の手を借りること」

――インドネシア駐在での反省を、タイ駐在時に生かしたことはありましたか。

インドネシア時代には「もっと外部に任せればよかった」「人の手を借りればよかった」という反省があったので、その点は意識しました。「0→1」だったので仕方ない面もありましたが、「全部自分でやろうとしすぎたな」と思ったんです。

例えば、タイでは外部の教育会社にオーダーメイドの研修を作ってもらったり、エンゲージメントサーベイを導入したりしました。自分で社員の給与計算までやっていたインドネシア時代とは、大きく発想を変えました。

――外部の力を借りる大事さは、どこにあるのでしょう。

外部の力を借りるのは、「お金で時間を買う」ということです。私が不慣れな業務を一生懸命やっても、「レベル1」の人間が「レベル5」になるだけなんですよね。それなら「レベル50」の人に手伝ってもらったほうが、組織としてはプラスだと考えられます。

同様の意図で、タイでは日本と同じシステムを積極的に導入し、できるだけ業務の属人化を防ぐように意識していました。駐在員の頑張りに依存することなく、人が入れ替わってもスムーズに動き続けられる組織の構築を目指しました。

――言語の壁はいかがでしたか。

言語習得の難易度の違いを、特に痛感しました。まず、インドネシア語はアルファベットを使っていることもあり、比較的学習しやすい言語だとされています。確かに1~2年もすると日常会話や仕事上の会話も、ある程度こなせるようになりました。

ところが、タイ語はなんといってもあのタイ文字が難しい。それに加えて意味を区別するための「声調」もある。レストランやタクシーなど、一般生活で困らない程度の表現は覚えられても、プロジェクトの会議や書類でタイ文字が出てくると、もうダメでしたね。非常に難しかったです。

――2カ国目だから難しかった、ということもあるのでしょうか。

ありましたね。インドネシアからタイに移ってしばらくは、タイ語より先にインドネシア語が出てきてしまいました。タイに移った後もインドネシア法人を兼務していた時期があり、定期的に往復していたので、なかなか直りませんでした。ひどい時は、日本語・英語・インドネシア語・タイ語がちゃんぽんになっていたので、聞く側のほうが大変だったでしょうね。聞き分けていたタイの社員を尊敬します(笑)。言語だけでなく、通貨の換算も混乱しましたね。


気を付けるべきだった「家族の環境」

――そのほか、駐在で気を付けるべきことはありますか。

家族の環境を考えることは、非常に大事です。インドネシアでは当初、家族も帯同していたのですが、のちに私の単身赴任に切り替わりました。当時は交通インフラがほとんど整っておらず、家族車(駐在員の家族用の社用車)という制度も無かったため、平日はアパートの敷地内から出ることもありませんでした。週末もこちらの業務が忙しく、出かけられる場所が近所のショッピングモールくらいしかなかったんです。家族には相当しんどい思いをさせてしまいました。

一方、タイ(特にバンコク)は交通網などの生活インフラが発達していることもあり、妻も子供もタイ生活にすぐに慣れ、今でも気に入っています。現在も、日本に帰国したのは私だけで、子供の進学の都合上、切りの良いタイミングまで家族はタイに住む予定です。海外駐在というと自分が現地に馴染んで、成果を出すことばかり考えがちですが、家族の環境を考慮することも非常に重要です。

――ご家族の状況は、自分のパフォーマンスにも関わりますね。

加えて、インドネシア駐在に手を挙げた時は家族の合意を取る前だったので、しっかり怒られてしまいました。その反省もあり、タイ駐在を打診された時は「家族がOKだったら行きます」と答えた記憶があります。



「相手を知り、己を知る」がコミュニケーションの基本

――2カ国の駐在を経て、どのようなものが得られたと感じていますか。

20260903_018「違いはあるけれど、大差はない」と思えるようになったことは大きかったですね。極端に言えば「人類皆同じ」というか。

実務的な面で話すと、私は駐在以外にも、中国やシンガポール、インドネシア、タイ、日本でのシステム導入を経験しています。比較できる国が多くなったことで、「ああ、このパターンね」と類型化できる事柄が増えました。商習慣や税制など細かな違いがあっても、混乱することなく、「なんとかなるな」と道筋を考えられるようになったと思います。

――2026年に帰国されました。12年ぶりの日本で、取り組みたいことはありますか。

まずは、海外の実情を踏まえた製品へのフィードバックをしたいです。これはすでに着手しています。日本国内ではなかなか気づけない細かな違いがあるので、メンバーに伝え、製品に反映してもらえるように働きかけたいです。

もう一つ取り組みたいのが、海外法人メンバーと日本本社メンバーの交流活発化です。海外すべての法人が繋がれるように全拠点でSlackを導入したのですが、それも同じ意図からです。グローバルでいつでもメッセージを送ることができ、ナレッジも検索できる。そうした環境ができれば、社員のエンゲージメント向上や、イノベーションに繋がると期待しています。

――海外駐在を考えている人や、これから赴任するという人に、伝えたいことはありますか。

アドバイスとしては、「日本をよく知っておくこと」が大事だと思います。B-EN-Gを含め、日系企業の現地法人にいる人たちは日本への憧れや親近感を抱いている人が多く、日本について知りたがっています。

彼らは「東京、大阪、名古屋」の話では満足してくれません。タイのメンバーには、北海道、飛騨高山、お遍路、熊野古道など、私よりも日本中を旅している人もいました。興味を持ってくれている彼らに対して、日本のことをきちんと説明、紹介できれば、最高のコミュニケーションになります。その点を意識しておくといいと思います。


――現地との向き合い方では、どのような意識が重要でしょうか。

「現地で稼がせてもらっている」「自分は現地に行けば外国人なんだ」という気持ちを持つこと。いい意味で謙虚でいることです。宗教や文化に触れ、「あの名所に行ってきたよ」といった話をすると、現地のメンバーは喜んでくれます。

「相手を知り、己を知る」。結局、これこそがコミュニケーションの基本です。海外駐在をする場合でも、そこに近道はなく、全く同じことが言えるのではないかと思います。

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(文・共同通信デジタル / 撮影・Taira Tairadate)
※本記事は2026年9月現在の内容です。
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B-EN-Gタイ

B-EN-Gは海外進出されているお客様からのグローバル管理ニーズにお応えするために、海外で利用できる製品/サービスの開発・提供や海外現地でのシステム導入支援に取り組んでいる。中国、タイ、シンガポール、インドネシア、アメリカに拠点を有し、そのうちの1つがB-EN-Gタイ(Toyo Business Engineering (Thailand) Co., Ltd.)である。

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