隔離マイスターがお届けする コロナ禍の海外赴任・出張レポート[後編]
コロナ禍における海外赴任・一時帰国では今や当たり前となった「隔離」。今回はToyo Business Engineering (Thailand) Co., Ltd.駐在中の私、内田雅也がタイ入国時の隔離レポートをお届けする。
後編では2回目から4回目の隔離生活を中心に、隔離後の状況や生活も合わせてレポートする。初回隔離との比較や、隔離における気付き・心構え等、これから海外赴任・一時帰国を予定されている方の参考になれば幸いである。
前編はこちら【隔離マイスターがお届けする コロナ禍の海外赴任・出張レポート[前編]】
感染拡大中の隔離2回目
タイミングが悪かった。
2021年3月までは全国で1日100人以下の感染者数に抑えられていたタイでも、4月のソンクラン(タイ正月)前あたりから一気に感染が拡大した。
そんなことになると思わず、4月1日から隔離期間が短縮(14日→10日)されたこともあり、5月初めからのタイ出張を予定していた。 感染拡大が止まらないため、急遽タイ政府は隔離期間を再度14日に変更したが、それが施行される前日の5月5日から10日間の隔離が始まった。
1回目の隔離と違い、今回は隔離が終わるまで一切部屋の外には出られなかった。しかし、前回の反省を活かし、ワーキングデスクのあるホテル(部屋)を選んだので、 1回目より快適に過ごすことができた。1回目とは異なるホテルなので、単純比較することはできないが、毎日の食事配膳やちょっとしたお菓子・飲み物の購入・配達など、隔離ホテルのオペレーションもこなれてきた感があった。
今回はワーキングデスクあり。これで外に出られたら、もはやワーケーション状態。
隔離タイムライン。1回目到着日は飛行機が何時に到着しようがゼロ日目でカウント。
今回からは18時までに到着すれば1日目でカウントされるルールに変更されていた。大きい差である。
食事がちゃんとしたお皿・カテラリーで出る。気分が大違い。
朝食の和食が素晴らしかった。そして食べ過ぎる。(1回目の教訓活かせず)
規制下のバンコク生活
10日間の隔離を終え、通常のホテルに移動した。隔離明け時点では、レストランでの店内飲食禁止という厳しい規制下であったため、ホテル自室で隔離明けの祝杯をあげた。
※翌週から規制が緩和され、レストランでの飲食はできるようになった。
かの有名な歓楽街も全店閉鎖。
また、隔離明け恒例、運動不足解消のため公園をランニングしようと思ったが、 公園などの人が集まる場所はすべて閉鎖されている状況であった。
ホテルのフィットネスも閉鎖されているため、公園周辺を走っていた。 マスク着用厳守(未着用は罰金)だったため、通常よりも負荷の高いトレーニングができたと自負している。
ルンピニー公園周辺。大通りのわりに歩道が狭く結構危険。空気も悪いので健康に良いのか悪いのかよく分からなくなる。
加えて、バンコク市内の歩道の多くは高低差のあるテクニカルな箇所が多く、トレイルランニングの要素が含まれる。バリアフリーになるのはいつの日か。
バンコク生活における週末の娯楽の代表格、ゴルフも原則マスク着用しながらのプレイであった。(ちなみにマスク着用で自己ベスト更新)
一時期ゴルフ場も閉鎖していたようだが、幸い普通にプレイできた。よく見ると猿がいっぱい。
日本帰国時の強制隔離も経験
東京オリンピックを1ヶ月後に控えた6月、日本も帰国者・外国人入国の水際対策強化として帰国者の強制隔離(3日間)が開始された。ちょうどそのタイミングでの帰国となったため、3回目の隔離は日本で経験した。
前回の帰国時とは異なり、厳重な必要書類のチェック、空港からの移動方法・自主隔離先の確認、自主隔離中に使用するアプリのインストール、PCR検査が行われた。 幸い隔離先ホテルは空港から近かったが、それでも空港到着からチェックインまでに3時間程度を要した。
バンコクの隔離ホテルと比較すると狭さは否めないが、帰国した安心感や3日間と短いこともあり、隔離生活自体に苦労することは無かった。
日本到着してから入国までに何度も書類チェック、隔離中の説明や質問があった。
PCR検査結果待ち。万が一ここで陽性になったら・・・と不安がよぎる。
隔離ホテル行きのバス。行き先も告げられず、無言で出発を待つ。
隔離ホテルの部屋。狭いけど快適。3日だったので楽だったが、
インドネシアから一時帰国した同僚は10日間だったので大変だったはず。
むしろ日本での隔離経験で驚かされたのは、その後の自主隔離期間だった。
毎日ランダムな時間帯に、GPSによる現在地通知、ビデオ通話アプリによる居場所報告が義務付けられていた。いつ連絡が来るかわからないため、結局日中はずっと在宅することになるという良い仕組みである。
(外出は人の少ない早朝にこっそりランニングしていたのみ)
おそらくこれで最後?正式赴任で4回目の隔離
8月のデルタ株による第5波には正直焦ったが、9月に入り収束が見えてきたころ、 ワクチン接種も2回完了し、10月の本赴任が決定した。
プーケットを皮切りに「隔離免除」措置のあるサンドボックス・プログラムも7月より開始され、10月にはバンコクも隔離免除!?の噂がささやかれていたのだが、目安とされていた、全人口におけるワクチン接種率が70%に届きそうもないことから、隔離期間の短縮(7日間)のみに留まった。
これは想定の範囲内であり、私にとっては嬉しいことであった。
そう、これですべての隔離期間(3, 7, 10, 14日間)をコンプリートすることになるのだ。
何も名誉なことではないことは重々承知だが、他の人が経験したことが無いことをするのは気持ちがいいものである。(これがあったからこの記事を書くことになったと言っても過言ではない)
1回目14日間、2回目10日間、(日本での隔離3日間を挟み)最後は7日間。
隔離期間短縮における、在日タイ大使館側のオペレーション変更もあったようで、COE(Certificate Of Entry:入国許可証)の承認に時間がかかったが、当日の出国~入国、ホテルチェックイン、隔離開始まで非常にスムーズに進んだ。スワンナプーム空港到着から隔離開始まで1時間半もかからず、最初の隔離時とは隔世の感があった。
私もホテルスタッフももうこなれたもので、なんの問題もなくあっという間の7日間だった。
相変わらず空港は閑散としていた。
今回は1回目のPCR検査結果が出た翌日の3日目から、1日1時間だけプールサイドに出ることが許可された。
ただ、ちょうど雨季だったこともあり、2回に1回は雨が降っていた。それでも少し外に出られて気分転換になった。
隔離明けにさっそくランニング。ベンジャキティ公園が拡張されていた。
ベンジャキティ公園にもオオトカゲが・・・。ルンピニー公園から移動してきたのか・・・。
隔離経験における気づき・心得
4回の隔離を経験し、隔離マイスターとして偉そうに講釈を垂れるようなことはしない。なぜなら、バンコクではワクチン接種者は11月から隔離免除となったからだ。
※2021年11月より統合システム「タイランドパス」による入国手続きが始まった。
※本稿執筆時点(11月上旬)で、実際に弊社出張者が隔離無し(入国当日のみ隔離)で入国できていた。
もうこれからは隔離したくてもできなくなる貴重な経験となった。
もちろん隔離しないで済むならそれに越したことないが、部屋から一歩も出られない「非日常」を過ごすことで、日常のありがたみを強く感じることができる。 そしてこの経験は次の感染拡大を防ぐために行動を変える「抑止力」としても効果を発揮するものと考えている。
また、隔離中は日常生活から断絶されることで、普段できないことをやるいいタイミングにもなった。
私は主に読書とタイ語学習に費やした。それも敢えてタイ文字から始めてみた。 そのおかげもあり、ある程度タイ文字を読めるようにはなった。
(ただ、読めても語彙が少ないので意味が分からないという惜しい状況)
年末年始か春先に一時帰国し、家族を連れてタイに戻る予定にしている。
その時は、日本帰国時もタイ入国時も隔離無しで済むはずだが、万が一、もう一度隔離を経験することになってしまったら、この場で本稿の最終章を書くことを許してもらいたい。