中国発、世界行き。B-EN-G上海の進む道
2000年代前半、世界各国の製造業はこぞって中国に進出した。当時を知る、現総経理の孫強に初の海外拠点であるB-EN-G上海と瀋陽に新設した開発・保守センタ―について聞いた。
「とてもオープンな雰囲気に惹かれた」―――。孫が2001年にB-EN-G本社(東京都千代田区)で働き出した当時の印象を振り返る。上海の工学系大学を卒業後、四川省の建築設備のメーカーで働いていたが、心機一転して日本に渡り東京農工大学で工学を学んだ後だった。この時期の中国は、「世界の工場」として勃興しつつあったが、「生産管理」や「原価管理」という概念はまだ薄かったという。
04年、B-EN-G本社がERPを導入した大手顧客が中国に工場を設立。B-EN-Gも現地で支援するために上海に駐在員事務所を設立した。母国での事業に貢献したいと考えた孫は、中国に戻ることを前提に、「mcframe CS」(現海外拠点向け生産・原価管理)のトレーニングコースを本社で受講する。システムの機能やユーザーの製造現場にどんな業務があるかなどを学ぶと、05年には同システムの中国語版を作ってしまう。
翌年に中国赴任を実現した孫は、「3年間で1本売る」という目標を掲げ、市場調査を開始した。すでにSAPやオラクル、その他競合の中国開発のERPシステムが自国で販売を開始しており、mcframe CSは完全な“後発組”だった。しかし、「日本のものづくりのノウハウがしっかり詰まったシステムは必ず役立つだろうと考えた」と話す。
難航した船出、現地法人化
目標達成に向けて営業活動に邁進したが、現実は厳しかった。複数社、契約の最終調整段階までこぎ着けたが、最後の最後で受注に至らないことが続いた。「やりがいもあるし楽しかったが、結果が出ないことが辛かった」と孫。ある営業先で言われたのは「あなたのことは信用している。システムが良いことも分かった。でももしあなたがいなくなったら、私たちはどうなりますか」という体制を不安視する意見。当時の上海駐在員事務所は孫一人だったのだ。
そこで07年から開発者の採用と育成を本格化して組織づくりを強化する。この方向転換が奏功し、第1号案件を獲得する。孫が目標に掲げた3年目が終わろうとする08年12月のことだ。その当時導入を担当した3人の中国人社員は、今もB-EN-G上海で会社を支えている。
10年には、mcframe CSの中国国内での販売を強化するために、駐在員事務所を現地法人化する。社員は10名に増え、沿岸部を中心に積極的な営業を展開した。ユーザーは、北は瀋陽、南は香港まで広がった。約10年で売り上げは倍増し、mcframe CSの契約数は40社を超えるまでになった。
17年には、世界的に進むインダストリー4.0と中国政府が推進する『中国製造2025』に伴う、製造業の自動化やスマート化などのニーズに応えるべく、IoT部を新設した。中国国内の製造業の中で自動化、情報化に取り組まないと、時代に取り残されるという漠然とした不安を感じる企業が増えているという。しかし、自動化に向けた工場内のデータ統合の基盤が整っていない企業が多く「4.0を実現するには、まず2.5くらいに持っていくためのソリューションが必要」と孫は考えている。実際、B-EN-GのIoTソリューションは、「mcframe SIGNAL CHAIN」や「mcframe MOTION」などIoTの“入り口”を提供する製品が多い。(IoT製品の詳細は後日公開する記事にて詳細を紹介します。)
開発・保守センターを瀋陽に設立
B-EN-Gグループの中でも新たな取り組みとなるのが、16年に瀋陽市にパートナー企業と一緒に設立したmcframe CSの開発・保守センターだ。 上海における開発人材の人件費高騰も背景にはあるが、瀋陽を選んだのは優秀な日本語人材が豊富だから。主な業務は、mcframe CSの保守改善と顧客サポート。現在mcframeは「mcframe 7」シリーズをメインに販売しているものの、CSシリーズを長年に渡り使い続けているユーザーも多く、そのサポートを一手に担っている。
設立時から孫が大事にしているのは、“オフショア拠点”ではなく“同じチームの一員”という意識を共有すること。オフショア拠点という意識が芽生えると、仕様書や設計書ひとつ取っても、「きちんと書かないといけない」と気を遣いがちになるという。それ自体は悪いことではないが、過度な気遣いは不要な工程を生み時間のロスに繋がってしまう。孫は2年ほどかけて、開発管理制度や規則を細かく整備した。基本設計書や詳細設計書の書き方、テストの手順や注意事項をマニュアル化したのだ。ルールを明確にすることで結果として業務効率が改善し、プロジェクトの質も向上した。今では、日本のパートナー企業から保守業務も受託している。
中国発のソリューションを世界へ
現在、B-EN-G上海には約30人の中国人社員が在籍している。その多くは日本語ができて生産管理が分かる、SE兼コンサルタントだ。製造業に関わるシステムのことであれば、生産管理でも原価管理でもIoTでも他社製品でも答えられると孫は太鼓判を押す。こうした優秀な人材と困った時のバックアップ体制が日本本社にあることがB-EN-G上海の強みだという。孫は流暢な日本語で、社員と本社の支援を「宝」と表現した。
さらに孫は、次の10年を見据えて新たな目標を掲げている。本社が開発した製品のライセンス販売だけではなく、B-EN-G上海で開発した中国発のソリューションを、日本や他の海外拠点で販売することだ。「キャッシュレス技術が中国で早く普及したように、製造現場においても中国で発展したシステムが、日本や世界で受け入れられる時代が来る。それをけん引するのはB-EN-G上海でありたい」と孫。赴任時に目標を達成した有言実行の男は、情報システムの先端を目指している。
(取材協力:NNA/監修・共同通信デジタル)
※本インタビューは2019年9月現在の内容です。